2005年 01月 22日
産経新聞の記事をめぐっておもしいことになってきております。問題の本質とはなんら関係のない、単純に「読解力が無い」というところが非常に見ていて微笑ましいかぎりだ。
そもそもの記事はこちら。 作家の東野圭吾さんは「利益侵害だけを理由に、著作権を主張しているわけではない」と、強調する。「作家、出版社は、書店で定価で買ってくれる読者によって報酬を得、次の本作りができる。書店で買う人、新古書店で安く買う人、レンタル店で安く借りる人、図書館で無料で読む人が、同じ読書サービスを受けるのはアンフェア。より早く新刊を読めるなど、書店で買うお客さんを優先したい」 ようするに「違う価額を出しているのだから異なるサービスのプレミアムをつけよう」という妥当な意見を東野圭吾がだしているのに、なにをトチくるったかみんな誤読している。現代文をやりなおせといいたい。 Unforgettable Daysさんがまるで優しい国語の先生のように教えてあげている。しかも、適格。 思うとこがあったちょっと待てというエントリーはこちら。 アヴァロンの水辺Blog、Copy & Copyright Diary@JUGEM まず著作権うんぬんのパブリックな文脈の中でなぜ「本の価値は読み手がきめる」と言うのかがわからない。結局、消費者の欲求というのは最も低い価額で手に入れたいという意見に収束されるにきまってんだろう。 「魅力的でない本が売れないのは出版社の責任」というのもまあ確かにそうなのだが、そのリスクを内包しているのがコンテンツ産業なのだ。出版や興行という産業は、訴訟リスクや開発費を内包した製薬業界と同様に、産業としてそのリスクを内包しているのである。だから、そのリスク分の価額が(もちろんある程度だが)反映されるのは産業として仕方がないのである。 そのようなリスクを内包している上、コンテンツ産業は形が不明確なものを扱う産業であるから、ある一定の段階価額を設けるのはビジネスとして当然の結果であるというのをわかっていない。 確かに再販制度は悪しきものでそれによって出版社は自分の首をしめることになった。読者の書籍に対する需要が細分化されれば、それにともなって段階的な価額をつけ、サービスとしてのプレミアムを付けることに何の問題があるのか。もう、当然の結論であるのに。 それを「出した金額によって読者に優先順位を付けようというのは、読者の価値判断を無価値と放り出し、最終的には批評・批判まで無視しようとする傲慢さに通じると考える」と言う。意味がわからない。だいいち批評・批判までいつ無視しようとしてるのか。頭が痛い。
by oidon-kagoshima
| 2005-01-22 13:55
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