2005年 01月 25日
なんかちょっと議論めいたことになってる。そこでわたしも大好きな本屋さん事情についてちょっと書いておく。先の話題で「読書サービス」というのが問題になったんだけど、この問題とここでいう「出版社」なるものの定義について少し関連がある。
関連:知財系ヨタ話 ちょっと広義の議論になってしまって申し訳ないんだけど、個人的には3つの問題点に集約されるとおもう。一読していただければ幸いだ。 その3つとは、1つに「出版業界のもつ構造としての問題」、2つに「その構造の中での保守化と経営上の失敗の問題」、最後が「文化財という側面をぬぐいきれない問題」。 まず1つめの「出版業界のもつ構造としての問題」について。 ここでなんか「?」なことを言ってるが、出版社はメーカーだ。企画してコンテンツを製作してそれを卸に売却する。これがサービス業なもんか。でもある意味、広義での「出版業界」という意味合いになるとサービス業の意味合いもでてきてしまうのだ。つまり出版社はメーカーなんだけど、必然的に卸である「取次」や末端である本屋さんと切るに切れない構造になっちゃってる。この接着剤になってるのが再販制と委託販売制だ。 ここで出版業界の構造をおさらいしておく。出版社は企画したり作家を発掘したりして本を刷る。それを「取次」という卸に販売する。取次は全国津々浦々の小売りである本屋さんに卸している。卸である取次は金融もかねてしまってるので三者の結びつきはものすごーく強い。業界を通じて巨大な資金繰りをしてると思えばよい。 じゃあ、再販制度と委託制度を見ていくとこにする。再販制度というのは「定価販売を(事実上)強制する制度」とみてもらえれば話が早い。ようするにメーカーが価格を決められ小売りに強く要請できる。委託販売制度というのは単純に小売りが「買い取り」でなく「委託」という手法をとってることである。これは「自由に返品できる」と考えてもらえば結構だ。 もちろん、この二つの制度には利点もある。 1つは全国津々浦々どこでかっても本の値段は同じだという点。沖縄だって北海道だって輸送コストは取次は負担してるからどこだって同じ値段。 2つめに、とにかく多種類刷れるという点。出版社は卸である取次に、本を納品するときに「前払金」というのをもらっている。そして委託販売によって生じる「返品」ぶんを後で戻す。だから、売れなくてもなんでも「刷れば」お金は入る。だがら新刊がガシガシでる。本やレコードはあくまで「出してみないと売れるかわかんない」ところがあるので、よいサイクルで回るとこれはすごくいい循環になる。これは資金繰りと密接に係ってるのでもうどうしようもない。構造改革をする以外にないなとは感じる。ほかにもあるけど、大局でみると重要なのはココだと思う。 さて、問題点。もうこれは複雑な問題なので一概には言えない。単純に「無くせば解決」という問題でもない。なんかもう複雑なんだ。だけど、やはり悪い点はたくさんある。1つは、とにかく返品率が高くなること。現代の経営において期末在庫をなるべく減らすというのは常識。なのに、出版社の返品率は平均25%ぐらいか。もちろん雑誌と書籍ではちがう。が、とにかく酷いのがおわかりだろう。売れる分だけ取るという概念が希薄。ありえない。死ね。期末在庫にかかる原価が多すぎてどうしようもない。印税もふつうは部数に対して支払う。だから実際うれてない印税や印刷費また管理コストを抱えなければならない。端的に不経済である。 結論としてはメーカーである「出版社」とその「物流」を含んだ壮大な構造不況。だが、メーカーである出版社自体の問題よりは、やはり取次・小売りといった物流システムが一つの曲がり角だなとは思う。もちろん、すぐに無くなるとは言わない。ネットワークが発達してもそれが人の実生活でのパラダイムシフトには時間がかかるだろうからだ。しかし、おそらく今後4,50年という緩やかな時間をかけて確実に縮小衰退していくシステムではある。どこかで抜本的な改革をとることになろうが、それがいつか。わたしにはわからない。 さて、2つめ「その構造の中での保守化と経営上の失敗の問題」。 ここは上記の構造の問題とけっこう絡んでる。だから出版社の責任だけにするわけにはいかない。出版社もさ、単体ではどうしようもないんだ。業界で動かないといけないから。 すこぶる風通しがわるいわけ。でも、もちろんそんなのいい訳にならない。 目下話題沸騰中のブックオフ。こんなビジネスは本来的には出版社が思いついてやんなきゃいけないだろ。端的に、消費者のニーズに答えられず経営手法が悪かったために魚を逃がしてしまった。ばかか。しかも、あちらは和解も試みてたのにゴネすぎて法廷に持ち越したけっかお金をもらえなくなってしまった。もう阿呆すぎてどうしようもないところだ。 今度の「貸与権」うんぬんも同じことだ。おまえらビジネス下手でそんな業態思いつかないんだからさ、そこそこで妥協しとけよ。とは思う。 が、ここで壮大なパラドックスがおこる。その手の付随産業にはあくまで「製作」ができないことだ。やはりメーカーである出版社等が製作せずには業界として転げ落ちてくことになる。だから、わたしは付随産業はある程度の補償を支払うべきだとは思う。プロモーションだとか広告効果がとは言われる。が、そのような予測できない未来の効果よりも今日の一円を重んじるのも現実的だなと言っておきたい。 3つめ「文化財という側面をぬぐいきれない問題」 やはりビジネスとして出版を考えたときに、これは問題だと思う。エンターテイメントに徹しきれる映画産業が非常にうらやましいかぎりだ。 もちろん、外部からの要請的な「文化財」もあるけど内部の会社内の「志」もいように高い講談社とかは「文芸書の名作を社会的な使命として出版」するという壮大な「志」があって絶賛実践中である。たとえば学芸文庫、文庫サイズのくせになんと一冊1,500円。それでも刷れば刷る程赤字。なんてやる気。みんな買ってやれ。あ、買っちゃダメなのか。みんな雑誌買ったれ。 と、こんなような微笑ましい例がたくさんある。わたしもこの手の「商業性の反対」にあるものが大好きだ。しかし、やはりビジネスとして見たときに少し酸っぱい気がするのは否めない。どうなんだろう。やはり専門書はオンデマンド出版に切り替えるなりの対策は打って欲しいものだ、存続するためにも。 とは言うものの、総合出版社における書籍の割合は2割ほど。それが各種専門分野によってさらに按分されるからそこまで大きい問題ではないんだけどさ。 (追記)まちがいに気がついて一部修正 11:33
by oidon-kagoshima
| 2005-01-25 09:23
| 知財ヨタシリーズ
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