2005年 01月 27日
SIREN(サイレン)というゲームがあった。
とにかくよくできたゲームであった。なんといっても、3Dのリアルさにまず驚く。あるいは今のゲームは普通かもしれないが、わたしにとってゲームの3Dというのは「キングボンビーが立体になった」というのと同義語である。そんなわけだから、町並みや主人公達が驚く程なめらかに動く様を見て「ああ、ゲームもすごくなったねえ」などと年寄りめいたことを言っていた。 参考:SIREN 2 ストーリーもよくできていた。街のサイレンが鳴る午前0時になると死んだはずの人間が「死人」となって蘇り、襲ってくるのである。単なるゾンビというわけではなく「屍人」は人間としての本能に近いものをまだもっており、コミュニティを形成する能力もある。「屍人」が生きている人を襲うのは「自分たちのコミュニティに引き入れるため」という、まあもっともらしい理由付けができている点も気に入った。 プレーヤーが扱う主人公も一人でなく10名前後おり、それらが更に時間によって按分される。一つの章が「ある一名のある時間」という形式になっているため、プレーヤーは全時間軸を眺めるうちにストーリーが朧げにわかっていくという仕組みになる。主人公達の目的もさまざまで、逃げたい者もいれば、「屍人」の謎を解明したい者もいる。彼ら同士の関係は、ある者ははっきりと、またあるものは朧げに繋がっており、それは時間軸の中でさまざまな次元で明らかになっていく。他の章で「屍人」という変わり果てた姿ででてくるものもいれば、プレーヤーが扱う間に徐々に「屍人化」していくような人もいて、とにかく奥深くまで楽しめるのだ。 そんなわけで、昨年といっても2年前の冬にはサイレン真っ盛りであった。「年越しはしない」といいながら、クリスマス・イブにはいい歳した男2人でぴこぴこサイレンをやっていた。最後まできて、いよいよラスト・ボスの前というところの敵が強い。このゲームは、「物理的」に難しいという種類のゲームではない。頭を使った「謎解き」要素のあるものにもかかわらず、その敵は「物理的」に強いのだ。 主人公とライバルのような敵との一対一の対決なので「謎解き」もクソもない。いたってシンプルな決戦であるが、昔のアクション全盛期につちかったファミコン一次世代の腕もすでに衰えているのだから、どうにもやっかいだ。コントローラーを投げ出し半ば「癇癪」をおこしてフテ寝したのだが、義務教育を終えて以来ゲームの理不尽さに怒って「癇癪」をおこしたのは初めての気がする。 思えば、ファミコン一次世代の我々にとってこの手の理不尽さは当たり前のものだった。なにせ、ゲームのハード・モードというのは「物理的にスピードが早い」とか「敵から受けるダメージが二倍」だった時代であったのだ。そんな時代を曲がりなりにも生き抜いてきた者の誇りを見せて、まあ最後にはクリアするに至ったわけだ。感慨もひとしおであった。 結局なにが言いたいのかというと、わたしはサイレン2がとてもやりたい。
by oidon-kagoshima
| 2005-01-27 21:14
| 私の愛したゲーム達
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