2005年 02月 04日
家庭教師先の親御さん、母親がわたしの住むBear’s Valley Cityの市議会議員とからしい。教育関連の役職についているらしく、とうぜん教育問題にたいして一言あって、何かの折にお言葉を聞くことが多い。
教育関連でホットな話題と言えば「ゆとり教育問題」と「国歌斉唱義務づけ」の問題であるという。まあ、全国どこも一緒だねえといった感じだろうか。 「とりあえず全国の方針に追随しとく」というのが方針の埼玉県では、とうぜん「国歌斉唱義務づけ」が定まったらしいのだが、やはりと言おうか従わない教員や生徒も多いらしく難儀されているようだ。おばさんは、近頃の若者の愛国心の無さを嘆いておられる。 ふーん大変ですねというぐらいに関心が無いので、どうでもいいというのが本音である。それに、「歌う歌わない」というのを「愛国心が無い」と単純に結論づけるのは間違いじゃねえかと思う。が、仮に若い世代に「愛国心」のようなものが欠如しているとすれば、単純に世の中に対する見識が足りないのではないのだろうかと考えた。 実際、いろいろな国に足を運んだり、またはある程度の歴史観があれば、この単一民族国家であり「無宗教」というある種の宗教をほとんどの国民が信じる、さらには極東の島国である日本という国の「価値」のようなものがわかるだろう。 逆を言えば、大陸国でなく他民族でもなく宗教差異もない日本という国は、自分の足で眼で頭で考えなくては「他者」の存在が実感できないのが問題なのかもしれない。価値とは差異のことであるから、そりゃあ国内に違う人種がいて違う宗教を信じていれば、必然的に自分たちの価値について考える時間が生まれるだろうし、それによって民族的なアイデンティティが生まれるものなのだ。 そう考えると日本という国は、その手の物事を考えさせられる必然性が無いのだと言えるし、考えるにしても幾分成長してからの話になる。日常レベルの生活をしていれば意識することすらないだろう。NHKや政治家の汚職を見て「この国はけしからん」というようなことが直接に「愛国心の無さ」のような現象に帰結するようでいて恐い。ぶるぶる。そうゆうことでは無いだろうに。 わたしは本日、新宿のスタバに置き忘れたバッグが2時間後に戻ってなお「置いたまま」になっているのを見て、日本国に対する愛情を再確認したのである。敬礼。
by oidon-kagoshima
| 2005-02-04 21:45
| オビワン
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