2005年 01月 23日
なんか初めから立ち位置が違うのでなんともなあ、という感じではある。一応「読書サービス」とやらについて書いときますね。Unfogettable Daysさんのコメント欄を覗いたらこんなんがあった。Armacaさんのコメンツ。
・本は情報の蓄積物。新刊も古本も図書館も等価。 ・本のサービス=情報=価値じゃないのでしょうか? そうじゃない。もう見方がミクロすぎる。なんつうか高尚すぎ。 一般の商業知財のサイクルを考えたほうがよいのではないか。一般の書籍はリリースとともに大量に刷られ、あるいは重版し売上を出す。「リリースの時が一番売れる」ここが肝心だ。映画は初週に動員の8割を稼ぐことすらある。そりゃもちろん後から再評価されたりコツコツ売れ続けてベストセラーという商品もあるが、あくまで割合は大きくない。書籍も映画も音楽にも商品として鑑みた際の鮮度というのがある。広告をうち、話題にあがって読者のニーズを創出し、それで新刊を売る。「電車男」の鮮度が常に同じだろうか。そうではあるまい。ニーズがプレゼンスによって生まれるのをおわかりだろうか。 だから、「情報誌」を除いた書籍全般は「情報の蓄積物」であるから「新刊も古本も図書館」も等価である、はずがないだろう。というより、同じ時期に同じ内容のものがより安い価額でレンタルなり貸し出されるのは困るという話だ。この世の大多数の知財全般は、広告をうちプレゼンスを高めることによってニーズを創出している。よって、その情報の鮮度が「読書サービス」なのだ。仮に、話題になっているオーシャンズイレブンが今すぐにツタヤで借りられたら、そちらを選ぶ人も多いのではないかろうか。それをやられると、そりゃ読者は「本の価値はわれわれが決める」とかいうので万々歳だろうが、プロダクションとしては採算が合わず赤がでて、結果次の制作費を減らすというような事になる。それでいいじゃん、とかいうのは別問題として。そりゃ映画は銀幕で見たいとかのプレミアムがつけやすいから話は違うけどさ。 「情報の蓄積物」が「等価」だというのは非常に限られた範囲の話であって、この文脈で話されている商業知財の話とは違う。文化的、社会学的な知見からはそうなのかもしれないが。ここは認識の違いというより仕方ない。 つーかこれからバイト行くんだが。朝六時。なんて偉いわたし。そとはさむーい。 (追記):投稿者の思い違いしてました。Malさん大変失礼しました。訂正してあります。
by oidon-kagoshima
| 2005-01-23 06:14
| 知財ヨタシリーズ
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