2005年 03月 22日
引越す先もきまってないが、荷物の準備だけはじめた。
わたしの部屋はもう跡形もない、どころかもうお犬さま(超かわいい)のお部屋になってしまわれている。けれど、モノいれだけには色々たっぷり残ってるのでこれを気に片付ける。 だいたいが本とかゲームとかテニスラケットとかだったのだが、奥から見た事もない「ログ」と書かれたダンボールが出てきた。見覚えもなければ、たぶんわたしの書いた字じゃない。恐るおそる開けてみるとそこには 初めて買った(と思う)エロ本、自動販売機で買ったすごいモザイクの大きいAV、沢野が捨て身で守ったようなエロ本などといった思いでいっぱいのルーツから、心の底から恥ずかしい女の子との手紙とかがごっそりでてきた。 しかもすげーキレイに整理されてんの。ぜったいにわたしの行為ではない。3秒でオカンの仕業と気がつき、問いつめた。弁解するにオカン曰く、あなたの思いでをキレイにパッケージングしといた、とのこと。全力でドロップキックしといた。 とりあえず、どうしよう。捨てたくはないが、見られたら死ねる(特に手紙のたぐい)。 世界各国が核を保有する気持ちがわかるってもんだな。 #
by oidon-kagoshima
| 2005-03-22 20:15
| 若禿男爵シリーズ
2005年 03月 22日
やっぱり原作があるものの映画化っていうのは、昔からのファンにとっては複雑だったりする。
そこで制作側としては、まったく同じ世界を追求するか、はたまたオリジナルな世界観を作り上げるか、どっちかに行かざるを得ないわけです。アニメだってアキラみたいに尺の都合から原作と切り分けたりしちゃう。 ところが。 それを超越する作品が出た。推測ながら、いままでの原作発映画の枠組みを変えてしまいそうなインパクトだ。これ、やばい。 なんといっても「キタさん(キンパツ)」がそのままである。もう、漫画そのまま。完璧。ここまで原作に忠実な作品って、おそらく今世紀中は出てこないと申し上げても過言ではあるまい。 原作は、ディープという言葉では表現できないぐらい「すごいDeep」な作品である。あれをそのまま映画化しても、ぜったいに観客は100mぐらい引く。もう、The World状態。 そこは、くどかんですよ。 たぶん、引きすぎないぐらいの風合いに仕上げてくれているのだろう。ということは、見た目ソックリ、中はオリジナル風味というものに仕上がっている予定である。 わたしは、ヤジキタinDeepがすごい見たい。 *in Deepする? #
by oidon-kagoshima
| 2005-03-22 15:12
| 昔の映画シリーズ
2005年 03月 22日
#
by oidon-kagoshima
| 2005-03-22 06:54
| オビワン
2005年 03月 21日
やばい、30分たってから前のエントリーを見直したら恥ずかしくてたまらない。どうしよう…。といいつつも感情にまかせて書きなぐりたい。これが若さだ。とくと見よ。
文化、というかクリエイティブ全般に関してつねづね思うのは「資本」という概念が欠如している、というより多くの人間がそこを見ていないのが、どうなのかと。ここでいう資本とは、家計における貯蓄も含む。純資産という意義で。 そう、文化であれなんであれ資本というものは必須というか、無いとなりたたない。文化的な物事になればなるほど「志」というものを重要視しすぎる気がする。もちろん、志は必要だ。必須。けれど、志だけで何かが成し得るのではない。 いわゆるアーティスト、それもファインアートなどの大掛かりなものになればなるほど金持ちの生まれが多い。もちろん、環境が良かったからセンスがいいというものだけではない。それだけでなく、個展を多く開けるという単純な理由だけもあることながら、わたしは単に「長く続けることができる」からなのでは無いかと思う。 結局、認知されるまでには時間がかかり、それにより評価が定まるまでさらに時間がかかる。よーするに利益が黒になるまで資本が続くというだけの話であって、しかもアートなんかは年々撤退者が増える。モノが大掛かりになればなるほど、働きながら作るということは難しくなるし、バイトしながらでさえ製作なりが大変なのは思うところある人もいる、はず。 どんなジャンルであっても「あ、もう少し専念させてあげれば…」というポテンシャルを持った人は必ずいて、そのような才能を如何にピックアップできるか。そーゆーのは、できれば社会で守っていきたいなあと勝手に思う。わたしが官僚とかだったらなあ。ダメか。 わたしなんかは、前衛と呼ばれるものであっても一定の期間とプレゼンスがあれば必ず採算合う日は来るとか思っているので、そこを繋ぐ資本があればとか思うわけだ。ま、リスク高すぎ、というか現実的には500%ぐらい無理なのだけど、理想として。 レーベルだなんだといってもそれと同じで、志はあるけど帳簿は読めない。弱小すぎてまっとうな金融機関は貸してくれない。だから、もう訳がわかってない。そーやって潰れたよいレーベルだってたくさんあるのだと思う。わたしのような、そこまでドープな音楽ファンでもない奴が良いと思うインディーズはたくさんあって、そこに何が足りないかといったら言うまでもなく資本である。 売るものはある、けど売り方も売るための金もない。クオリティは足りているのだから、そこをどーにかすればなんとかなる。そーゆう仕組みを考えるよーな人材がいればなあ、と思うわけだよ。常々。その点、APバンクとかの活動は大変心打たれるものがあった。しかし、それは根本的な解決にはなってないよね、と思うのであります。 みんながんばってくれ。 #
by oidon-kagoshima
| 2005-03-21 15:55
| オビワン
2005年 03月 21日
希望格差って言葉を聞くと、中学のころの友達を思い出す。
そいつは、わたしから見ればセンスのかけらも無いのにクリエイティブに行くと言って聞かなかった。わたしの住むような田舎というのはおそろしく情報量の差異がある。それはインターネットによって是正されるとかの次元でなく、もっと現場に近いノウハウのようなものだ。 才能あるやつならまだしも、普通の奴が広告批評に載るような仕事がしたきゃ、東大に入るのがてっとり早い。もしくは慶応やら早稲田やら、その手の大学に行くのが最も「近道」であるのだけど、そーゆーノウハウというのはほとんど田舎には無い。 同様にメイクをやりたきゃ、野田(だっけ?)とかなんとかトップクラスの学校に行き、人脈なりを付けて有名な人のアシスタントに着くのが早い。けれど、田舎の高校生というのはコンビニの発売日にスマートを買って見開きのバンタンの広告を読んで、「やりたいこと」という逃げ道なりをでっちあげ試験も受けずに入るのだ。あるいは、バンタンに夢を見て入るのかも知れないが。 そんなわけで、中学のソイツはどこぞの専門に入って製作をやっていると聞くが、おそらく彼が夢見た仕事はしてないだろうと思う。もちろん、それがやりたいことならそれでいいのだ。ただ、彼にそーゆーノウハウのようなものを提供できるシステムがあれば、それを知っていたら、違う人生もあったのでは無いかなと思う。少なくとも、選択することはできた。 統計は知らんし、あくまで感覚にすぎないけど、そーゆー希望格差が生まれる人というのはノウハウを提供されない人達、そしてその多くは地方の「純粋」な若者なのでは無いかと思う。もちろん、都内に限らず関東圏にだってそーゆー人はいるのだろうけど。 その手のノウハウを親や周りの環境から提供されている人は、とりあえずセコセコ勉強して保険かけてイイ大学に入る。そんでそこそこドロップアウトしながら、そこそこのとこに就職したりするのだ。もしくは、周りの環境に流されて気がついたら「あら、ぼくけっこうイイポジションにいるね」とか思うのだろうか。 そんなこと考える昼下がり、なんかもうどうしようもない。結論なぞでないし、こんなこと昔からある話で今に始まったわけではない。ただ、少しなんか間違っているな、とは思う。こんなこと書く自分自身が、そんなセコセコ来た人間であるのもまたプライスレス。 #
by oidon-kagoshima
| 2005-03-21 14:48
| オビワン
|
ファン申請 |
||